「ばんえい競馬」 馬や馬主たち、馬を育てている人たちの思い


30年前のばんえい競馬。

熱気と感動に包まれていた、競馬場、馬主、ファンたち。

 現在から遡ることおよそ30年。「ばんえい競馬」に北海道の人々が熱狂していた時代。馬主である会社の社長さん、地元の名士、そして牧場主やお店のオーナーたち。馬主であることがひとつのステータスシンボルでもあった時代。ばんえい競馬には想像以上に大きな投資的価値がありました。

 当時、開催していた競馬場には、馬主のために必ず専用席や専用駐車場が用意されていたものです。開催日ともなると馬主たちは、家族や友人、知人を連れては競馬場を訪れ、自分たちの馬を熱狂的に応援していました。年に一度、馬主はじめ競馬関係者、ファンにとっても特別なレースがあります。賞金額が一千万円にもなるばんえい最高峰のレース、「農林水産大臣賞典」(現ばんえい記念)ともなると、競馬場はさらなる熱気に包まれ、大きな感動の渦と共にありました。レースに出場できる馬はわずか10頭。その権利を得ることが、馬主にとっては最高の名誉でした。

 

思いが叶い存続へ。しかし、今も危機的状況に。

 馬たちの勇姿に心躍らせ、多くの馬主やファンの心を捉えていたばんえい競馬の世界ですが、今ではそれらも遠い過去のこととなりました。ばんえい最高峰レースの賞金も、今日では半分に。

その当時、競走馬の価格は、高いものでは一頭およそ三千万円。年間数千万円もの賞金を稼ぐ馬もいました。そんな良い時代を経て、忘れもしない2006年11月27日。それまで4市で開催していたばんえい競馬でしたが、売上げの低迷からそのうち3市(旭川市、北見市、岩見沢市)の撤退が決定的となり、帯広1市で存続か廃止かの瀬戸際に立たされたのは記憶に新しいところです。ばんえい競馬の場合、廃止になったからといって他の地方競馬で走るという選択肢はなく、馬主たちは競走馬の処分を考えていたこともあったほどです。

 幸い、全国各地、多くの人たちからの支援や応援によって、九死に一生を得て廃止の危機からは免れ、今日の新生ばんえい競馬のスタートにつながりました。とはいえ賞金の減額など収入面から馬主の窮状は深まるばかりで、今や過去の栄光もすっかり色褪せてしまいました。ピーク時には700人以上いた馬主も、現在では400人ほどに減少。まさに今このときも、馬と共に減り続けているのです。そのような危機的状況のなか、いつ廃止になるかと、多くの関係者は心を痛め続けています。

 

忘れないでほしい。北海道の未墾の地を耕してきた馬たちを。 

それでも馬主であり続ける理由。それは「いつか、自分の馬で最高の栄誉をつかむ夢を捨てきれずにいること」です。しかし、それ以上に現在の馬主たちを支えているのは「損得抜きで純粋に馬たちが好きだから」そして、「先代たちが残してくれたこの馬たちを何とか後世に伝えていきたいから」という熱い思いに尽きるのです。

 新生ばんえい競馬、一瞬たりとも気の抜くことのできない正念場が続いています。売上げの減少、加えて歯止めのかからない馬や馬主の減少。継続していくための環境は一段と厳しい局面に突入し、そして再び存続の危機がすぐ目の前に忍び寄ってきています。ばんえい競馬がなくなれば、馬たちは間違いなくこの十勝から姿を消していきます。2千人もの馬に関わる人々の暮らしも脅かされてしまうことになります。

 歴史を遡れば国情に左右された馬たち、軍用、農耕用、使役用へと生産改良されながら、昭和30年代までこの広大な北海道の未墾地を耕してきたのは、他ならぬ馬たちなのです。

 どうか決して忘れないでいただきたいのです。何故、北海道の十勝にこの馬たちがいるのか。この馬たちの先祖がこれまで何をし、私たちに何を与えてくれたのか。私たちはこの馬たちを後世に残していかなければならないのです。