帯広競馬場の歴史


帯広競馬場の創設当時(明治30年)

帯広競馬は、明治30年の秋、帯広町東3条10丁目に平哩馬場を造って開催されたのが始まりと伝えられている。明治44年、十勝産牛馬組合がその経営にあたり、国有未開地28町6反余りを北海道庁から借り受け、同町南2線西8番地に一哩馬場をつくり面目を一所した。しかしここも市街地に編入され、昭和7年現在地を選定し、一哩馬場、幅員30メートルの道内随一の施設をもつ競馬場とした。

馬場の大改修(昭和49年)

すでに40年以上経て老朽化していたので、数年来修理を重ねて使用してきたが、危険な状態にあったので、施設所有者の十勝農協連は昭和49年6月にこれを大改修し馬場は1,570メートルとなったが、正面から観覧席、構内は面目を一所し、南側にあった正面は、東側に移しイレネー号の銅像を構内に包巻してしまった。

現在の帯広競馬場

他の競馬場は新設を機会に遠くに移転したが、ここだけは40有余年市民に親しまれてきたこの地から離れず、駅からも一番近い。根室本線下り列車が帯広に近づくと車窓から南方に競馬場のスタンドが住宅地の屋根越しに見えてくる。これはあたかも伝統ある馬産地十勝を象徴するような建物だ。競馬場の正面堀沿に走っている道路は交通も頻繁だが都会の中心に広大な緑地が存在していることは、清澄な空気を保存することや防災面の必要性をも考えているようだ。現在地は帯広市西13条南9丁目、駅から約2キロメートル、十勝農業協同組合連合会所有。